海外移住計画

GDPの議論から、生活の質の議論に。

インドから文明の問題を考えてみた。

暇なので、インドから文明の問題を考えてみました。

 

停電がよく起こる生活は、ネット使ったり電気を使うことで生産活動をする人間にとって良くないことだなーと思っていましたが、実際にインドでそういう生活を経験してみるとやっぱり良くないことだと再確認した昨今です。停電したり、そもそも電気がつかなかったりすることは生活の質に影響します。

 

インドの人口は約12億人で日本の約10倍ですがインドの人口の3,4割の人達は電気の恩恵を受けずに生活していたりします。路上で生活して雨風をしのぐ家がない人もいたりします。で、暗くなると本が読み難かったり、読めなかったりするわけです。すると学校から帰って友達と遊んでから勉強を家でする(したいと思わないかもしれないが)こと、つまり日本人にできる普通のことがインドでは環境のせいで普通に「することができない人」が3億人以上いるわけです。つまり「普通」が普通ではない状況があるわけです。

 

電力供給がそもそも不足している状況をインド政府は原子力発電によって改善しようとしていたりしますが、再生可能エネルギーの開発にも力を入れていたりします。でも再生可能エネルギーと化石燃料だけでは電力需要を満たせないし地球温暖化と福島の事故のことを考慮しても再生可能エネルギーだけで電力供給するのはまだまだ先なのがインドの現状です。

 

原子力発電所で事故が起こると、国内だけではなく環境と海外にも影響があり生活している人々への影響も大きいことが福島の事故でわかったりしました。不確実性によって起きる原子力の事故を無くすには地球から原子力発電所が無くなる必要があるわけです。が、それは世界の文脈で長期的な問題なわけです。なので日本だけで脱原発をしても課題は他の国、というか世界が、いや、人類の文明の問題なので世界に目を向けて世界と対話する必要があったりします。なので世界の原子力発電を主要な電源とする割合をへらす観点でネットで日本の文脈をみると、再生可能エネルギーへの投資を政府に要求することが不足していると思うんですよね。日本が世界に向けて発信するメッセージが再生可能エネルギーの投資の要求のほうが、その分野の技術開発による経済成長にも繋がる上に生活の質が向上する人が増えるので良い。と個人的には思うのですよね。

 

一人ひとりの生活の質を考えたときにインドでは原発を増やして電力供給をしようとしていて再生可能エネルギーへの投資も増やしているけれど、昨今の日本で日本の原発の再稼動に反対している人が、インドでの原子力発電と原発の増設にいますぐ反対しないことは矛盾してるのでしょうか。原子力を主要な電源にする割合を減らすのには時間差があって現実に電力が供給できていないインドでは3割(3億人以上)の人間が電力の恩恵を受けることができていないです。なので、生活の質の向上はしたほうが良いと。インドから出発して世界に拡張した文脈で考えた生活の質からいえば、脱原発を望む人がいますぐ稼動する原子力を止めることに賛成しないのは矛盾しない。そう思っています。

 

ところで時間について、再生可能エネルギーの技術開発が進むには時間が必要なわけです。そして実用化する時間も必要なわけです。再生可能エネルギーのみで電力供給を行えるまでの開発が必要なわけです。開発には投資が必要なわけです。なので国民の生活の質と人類の文明のために各国政府は再生可能エネルギーにもっと投資をしたほうがいいと思うんですよね。

 

文章が長くなりましたが、これは文明とエネルギーの話で、結論は投資をもっとしたほうがいいんじゃね?です。いや、文明のために再生可能エネルギーの投資をもっと強く要求したほうがいいんじゃね?という話です。あと長期的に再生可能エネルギーを増やして原子力発電の電源の割合を減らすことと、今稼動している原子力発電所を止めないことは今世界で生きている人間一人ひとりの生活の質の観点から矛盾しない。という話です。

 

タータ!(マーラーヤラム語で「またね」の意)