海外移住計画

GDPの議論から、生活の質の議論に。

議論のキッカケ

日本人は親切だと海外でよく言われた。

 

僕もそう思う。しかし同時に不寛容だと思っている。親切と寛容さは別物だ。

 

たとえば、電車で楽器を演奏したらうるさいから「やめてほしい」と言う人が出てくるだろう。また、自転車を抱えて電車に乗ったらすごく迷惑がられて「やめてほしい」と言う人が出てくるだろう。駅や駅の近くで音楽を演奏するのは迷惑だからと禁止されていたりする。

 

迷惑だからと禁止項目を増やしていくと日本は狭くなる。

 

これからの日本は人口が減少し続けて生産年齢人口も同時に減っていく。子供のための環境作りとその支援も充実してない。子供の泣き声がうるさいと苦情を入れる不寛容さもあったりする。

 

日本は将来移民を増やすために何をやる必要があるのか。いや、まず移民の受け入れ反対がたぶん多いから政治家はそこまで詰めていけないと僕は思う。移民を本当にどうしたらいいのか、どのようにして日本は経済成長と繁栄と幸せのために僕らは何をしたほうがいいのか全然わかっていない。ベターな日本にするための公共的議論はどこへいってしまったのだろう。僕が知らないだけかもしれない。

 

移民が増えたときの日本を想像してみた。日本語を得意としない移民同士のコミュニケーションで使用されるのは彼らの母国語あるいは英語だろう。たぶん英語で彼らはコミュニケーションすると思う。そういった彼らと僕らが話すには日本語か英語かその他共通の言語だけど、たぶん日本語と英語が混ざったりする会話になると思う。

 

まったく日本語を理解できないが英語やその他の言語がしゃべれる移民も出てくるだろう。そうした移民とのコミュニケーションの機会を自分の言語能力の向上に役立てられる人間が増えればベターだ。英語が得意ではないけれど英語を話す機会が移民のおかげで増えたり、生活するために英語を使える場面が増えたりとそういった理由から機会を有効に使って自分の質を向上させられたらベターだ。

 

世界の想像する日本人像を変えてやるのだ。日本人は英語がヘタクソだから、と言われなくなった日本人が生活するのはそうした移民と共栄共存する日本があることで世界の価値観の変化は加速すると僕は思う。

 

グローバル化は新しくもなんともなく昔からあって、異文化を受け入れて他国の書物を読んで知識を蓄え国を発展させてきた。今の僕らは昔の人たちと同じことをやっているのだけれど、僕らは何のために国を発展・開発させるのか?ということをいま生きている人とその先の人のために問い直す必要がある。

 

経済成長という言葉があって一般的に実質GDPの成長率の増加をいうけれど、それが目標にされて他にも重要なことがあるのに他のことは置いてけぼりにされていることがしばしばある。

 

僕らは何のための経済成長か?ということを考えてきたのだろうか。よく経済を成長させるにはあれをしてこれをして、とニュースやブログやツイッター等で拝見するがそこには何のための経済成長か?という考えが見えてこないことがある。見えるとすれば経済成長によってビジネスを活性化させるみたいなことだ。

 

GDPで測れないことを知るのは何のための経済成長か?を考える助けになるだろう。たぶん。

 

僕はアマルティア・センの著書をほとんど持っていて邦書や洋書問わず読んでいる。さっき書いた「GDPで測れないこと」も彼の著書にある。さらにおもしろい提案まで知ることができた。嬉しいことにその著書の基になったReportがPDFで無料で読める。(Reportは英語で書かれている)>http://www.stiglitz-sen-fitoussi.fr/documents/rapport_anglais.pdf

 

日本語で読みたい人のための翻訳本「暮らしの質を測る―経済成長率を超える幸福度指標の提案」もある。僕は安く読みたい派なので洋書版を持っているがPDFで読める上に語句検索が可能なPDFのほうが僕は良いと思う。経済や経済学に興味がある方には是非読んで頂きたい。GDPあげあげばかり言う人たちに対する批判的な価値観と根拠をこの本で得られることが出来ると僕は思うので強くお勧めする。また時間を費やす価値は僕にはあったことを書いておく。この本を読んでくれた人がそこから何のための経済成長をするのか考えるキッカケになってくれたらとても嬉しい。