海外移住計画

GDPの議論から、生活の質の議論に。

1時間30分

 

5151800

 

ニュージャルパイグリ駅を出発しパトナへ向かう。

 

列車の中で熱にうなされていた。というか頭痛があった。まだ風邪が治ってないらしい。

 

が、寝ていたら熱が下がったので、治ったのか?と思うが蚊に刺されまくりの昨今なので何らかの病気も疑うことにする。。。

 

パトナには朝4:00に到着する予定(インドなので未定)だったが予想通り遅れた。1時間30分の遅れだ。僕はバラナシでパトナ6:15発の列車に乗るためのチケットも購入済みだったのでその時間に間に合っただけで僕は運が良い。

 

ところで、パトナへ降りる前にフランス人の女性に会った。彼女もパトナへ乗り継ぎで来てはいるがチケットは買ってないということだった。4時に降りる予定だったので出入り口付近に僕らは立って1時間30分近く話したり沈黙していたりした。

 

パトナへ降りてから、僕らは窓口まで一緒に行ったがEnquiryとチケット購入窓口は少し離れていてチケット購入のためにインド人が行列作って待っていた。僕はEnquiryに行ったのだが、開いてなかった。なので近くのインド人にチケットを見せてプラットフォームがどこなのか聞いた。最初はインド人のおじいさんが8番だと言って教えてくれた。すると周りの若いインド人が「違うよ、8じゃなくて1番だ。」と議論になっている。とりあえず1番のプラットフォームって言ってる人が多いので念のため「エイクなんだな?」とヒンディー語でも確認。手でも人差し指だけあげて1をつくり確認した。

 

1番プラットフォームを目指して歩いたら、「1番のプラットフォーム」と言っていた若いインド人2人が僕の元へきて「プラットフォーム8番だった。あっちだ。」と通り過ぎたプラットフォームを指さして言ってきた。最初に8番って言ったおじいさん合ってたじゃないか。。。多数決で間違えたらできるだけ早く修正するということが重要なんだろうなと思ったり思わなかったり。

 

パトナ発の列車は初めての普通の座席。つまり2A3Aではなく扇風機だけの普通の座席だ。

 

DR1coachがなかなか見つからない。それもそのはず、一番端にあった。僕の座席はウィンドウシート。だが、そこには既におじいさんの姿があった。僕はチケットを見せておじいさんに席を退いてもらった。彼は英語がわかるので、自己紹介だけした。それが終わると、後ろからインド人女性がおじいさんのところまでやってきた。席をどいて欲しいと言って来たそうだ。僕は彼に「何か問題あったの?」と聞いた。すると彼は、「私はチケット持ってないんだよ。このcoachはチケット確認する人が来ないんだ。だからチケット持ってなくても乗れるんだ。」と僕にいってきた。僕は「そうなんだ」といって何事もなかったかのように会話を続けた。

 

僕は彼の目的地を聞いた。すると彼は「ガヤだから一緒だね」と答えた。僕はガヤまでどのくらいかかるのか尋ねた。90分くらいだと彼は答えた。そして90分後・・・列車は10km前まで来ていた。まだ10kmあるのかと思いつつ10分経過。列車は無事、ガヤに到着した。おじいさんと別れて、ブッダガヤに向かう。

 

ガヤからブッダガヤまで80ルピーで乗ったオートリキシャーだったが、ドライバーがゲストハウスがわからず僕はあちこち連れまわされた。ようやくゲストハウスの近くまで辿り着いて100ルピー払い釣りをくれと言ったら彼は「一応ゲストハウスまで頑張って連れてきたから100ルピーでお願い」と言ってきた。確かに頑張ってくれたので釣りは貰わなかった。

 

ゲストハウスの近くで降りてからアショーカという日本語のできるインド人に出会った。「ウェルカムゲストハウスとか安くて眺めの良い宿あるよ。」と日本語で言ってきたので彼は客引きだと思った。僕はロンプラに載ってる宿のMohammad's Houseに行きたいとしつこく言っていると、彼は引いた。

 

そのゲストハウスに到着したのはいいが、彼も一緒だったので、そこが本当にロンプラに載っているMohammad's Houseなのか確認するためにロンプラの地図上では近くにあるはずのInternational Meditation Centreまでとりあえず連れて行ってもらった。それは割りと近くにあり、方角も持っているコンパスで確かめて確認できたのでもう一度ゲストハウスに戻った。なぜわざわざ面倒な確認をしたのかといえば、ニューデリーで遭った名前がまるで同じのDTTDCの件のように似た名前のゲストハウスに泊まらせる作戦かと思っていたからだ。

 

ゲストハウスに戻ると、400ルピーだと言われていた宿泊料金だが300ルピーで良いと言ってくれた。「他の人には言わないでね。内緒だよ。」と僕に告げ、一泊300ルピーで泊まることになった。

 

ゲストハウスで45時間だらだらすごしていた。外国人だらけのゲストハウスだ。チェックインしにやってきた見覚えのある女性が階段をあがってきた。(僕の部屋は2階にある)

 

 

「また会ったね。」

 

 

僕らは話をした。彼女は「ここまで来るまで死にそうだった。5時間かかったのよ。」といってきたので僕は「それは大変だったねー」と返した。お気づきの方もいるだろう。そう、パトナで何も挨拶をせずにさっさと別れたフランス人女性である。

 

彼女がここに来たということは、ロンプラ持ってるんだな。と思ったりしたのだが、ほとんどの外国人旅行者はロンプラ持って歩いてるのでそりゃそうかと思い直した。

 

ゲストハウスを出て一人でお昼ご飯を食べに行こうと歩いていたら、またアショーカに会ってしまった。彼が案内したがるのでしょうがなくバイクに乗った。そして僕の行きたかったチベット料理屋に連れていってもらった。そこではmomoを注文したのだが、ダージリンで注文したときと同様に蒸した餃子だった。トマトスープにつけて食べると水餃子みたいになって美味しいのだ。

 

食べ終わってから彼に印度山日本寺へ連れていってもらった。

 

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ブッダガヤには日本寺があり、その寺には日本語の本が置いてある図書館あるので無料で読める本なら読んでおこうと思ったのだった。そして14:48に着いて待っていると後ろからインド人が日本語で図書館は15:00からだよー。と言ってきたのである。

 

確かに15:00と書いてあった。少し待つと図書館を開けてくれた。しばらくして、インド人のおじさんがやってきた。僕はそのインド人のおじさんと1時間30分に渡って日本とインドの現在と将来について語り合うことになる。なので、僕は図書館へやってきて一冊も本を読んでいない。

 

彼は何を話したのか。まず、彼はインドの人々やその将来について語っていた。

 

「インド人は貧しい人が多い。村には電気さえ通ってないところも多い。教育も受けられていない人も多い。だがみんな幸せに生きている。みんなそれで幸せだと思ってる。インドはこれからも成長していって、やがては日本のように幸せだと思えない生活をする人が増えていくだろうね。」

 

僕は尋ねた。

 「本当にみんな幸せだと思ってるの?」

 

彼は答えた。

 「そうだよ、幸せだと思っているよ。それは教育受けてない人も貧乏な人もみんな幸せに暮らしてるんだよ。仕事ない人が多いから好きなことやって幸せに暮らしているんだよ。食べ物と悪天候を凌げる家とか基本的なものがあればそれでいいんだ。」

 

僕は言った。

 「物凄く貧しくて、苦境に陥っている人はどんなに小さな幸せもみつけ出そうとするじゃないですか。でも、それでその人が幸せだからそれでいいやって僕には思えないのですよ。」

 

彼は答えた。

 「教育は受けたほうがいいし、電気がある暮らしになったほうが良いと思ってるけれど、そうすると幸せじゃなくなってしまうんだよ。」

 

彼は先進国のような暮らしになると人々は忙しくなりなんだかんだで幸せではなくなってしまうということを言いたかったのです。確かに、僕は日本に住んでいる人は自分ことを幸せだと思える人って少なそうだよね。という話もしました。

 

僕が彼の話の中でひっかかったのは幸せと発展は両立しないのか?という話です。「幸せって環境によって変化するじゃないですか。」と言ってみたもののうまく流されてしまいました。。。

 

「あなたは幸せですか?」の問いに「いいえ」で答えがちな日本人なのですが、色々と思ところありなのです。国民総幸福量(GNH)について書いた記事が僕の古いブログにあったりするのでもしご興味がありましたら読んでみてくださいませ。

 

ところで、この手の話題を考える度にこのブログのタイトルが僕の答えでいいと思っていたので、いちいち思い出すのが面倒だからタイトルにしていたことを今、思い出した僕です。

 

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